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セクションJRF のひとこと
日時2011年10月26日
元URLhttp://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2011/10/post-9fd5.html

自分は「ゆとり」ではないということを示すために、「ゆとり」でなかった者が「ゆとり…

自分は「ゆとり」ではないということを示すために、「ゆとり」でなかった者が「ゆとり」者を配慮して、他者に「ゆとり」を与える「オレはゆとりじゃない」コンプレックスとかあるのか?でもなぁ…、そもそも「ゆとり教育」ってどこに実在したんだ?
JRF 2011年10月26日

私がガキのころも、勉学を怠ける人間なぞいくらでもいた。大学全入時代で緊張感が薄れた面ってのはあるかもしれないが、むしろ、勉学については怠けてもいいような人間まで、大学受験させられることの社会的コストのほうが大きいんじゃないか。

全員(普通)高校に行くのも問題ぶくみと思われているところに大学全入まで掲げたのは、生涯学習ビジョンの崩壊&ポスドク問題から来る高学歴者の就職問題の影響のほうが大きかったのではないか?

JRF 2011年10月26日

ただ、その大元のところは、陰謀論的になるが、国際的な人口抑制政策の先鞭としての少子化政策(対策ではなく)として、人口の多い団塊ジュニア層の(少子傾向になりやすい)高学歴化が推しすすめられ、生涯学習やベンチャー推進の理屈も、そのための煽り文句だったと考えるべきなのかもしれない。

keyword: 少子化

JRF 2011年10月26日

2008年06月18日のひとこと。
>うーん、しかし、未来の人はここ前後30年ほどの日本の人口動態のグラフを見て何を思うのだろうか。現れるべき山が現れる気配すらない…って、どんな「暴力」があったのか、と。(…でも、)人口動態に関しては、世界的に見ても時代を先取りしていたという評価になっちゃうかもしれないからな。<

JRF 2011年10月26日

世代人口が少なくなる社会においては当然、教える側に立てる人材は相対的に増える。普通に考えれば、勉学のコストが減り、その時間が増えるため、「ゆとり」がなくなる方向に行くはずである。ただ、そういったところからくる「過度な教育への介入」を嫌ったため、「ゆとり教育」推進により青年が少年を教える機会を減らそうとしたのかもしれない。児童ポルノ問題は、その「出逢い」を封じるため親の警戒感を増す側面掃射の意味があったのかもしれない。

JRF 2011年10月26日

そういう「教育過多」の時代だったと省りみると、上の世代が「ゆとり」に感じるものの正体は、「教育不足」ではなく自分で解決する能力の相対的な少なさにあるのかもしれない。それは自分達が「過保護」を嫌う自立した存在だという認識からも来ているだろう。

昔は「過保護」が問題になった。「ゆとり世代」とはちょうど逆に、実態としては人口が多く親が忙しくて、保護が難しく、親としては「過保護」が問題だとしてくれたほうが都合が良かった。一方で、「ゆとり教育」は不況期にあたるが、経済的に苦しいはずなのにその批判が公立への不信、私立選好を増す側にはたらいていた。

JRF 2011年10月26日

《IT 革命とデフレ――自由主義的改革としての「ゆとり教育」》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/03/post_10.html

>
新しい技術に対応した教育とは何かが見えない以上、その部分においては自由に競争させて測ってみるしかない。

少なくとも私はそう考えて「ゆとり教育」の主旨には賛同していた。

しかし、この立場にすれば肝心な大人の側がデフレにより「自由」な行動がとれなくなった。


JRF 2011年10月26日

(…)
サービス残業によって時間がなくなる親がいる一方で、失業による家庭崩壊がおきた。すなわち、地域や家族の一員として行動する時間がなくなる一方で、親を子供の目標となりがたくしてしまった。

本来なら影響を受けなさそうな教師も自由でなくなった。公務員改革による圧力と、危機時に現れる安易な右傾化が、歴史的な事情で左派が多い教師の選択肢を奪ってしまった。
<

JRF 2011年10月26日

政策転換というのはそんな器用にできるものではなく、スクラップ&ビルド、「いたみをともなう改革」という問題化が必要だったのかもしれないとは思う。

[aboutme:72864]
>部分的に「ゆとり」をもたらすっていう器用なことはできないのかな。それとも、「ゆとり」があることを強制する方向にエネルギーを使わせることで、別のところで「自由」な人材を育てる意図があったのか。<

JRF 2011年10月26日

…それでできあがった実在の「自由人」が、私なわけで、いろいろ大変申し訳ない限り。もう一方に、まともな起業家・博士等が成長しているんだろうけど、ネットからは見えにくい…ヒマ人じゃないんだからあたりまえか…?(でも、ホリエモンの逮補前は結構ネットにそれっぽい人を見かけられた気もするが、SNS の向こうにはいるのかな?)

JRF 2011年10月26日

2008年7月28日のひとこと
>見えるようになっていない。その構造的なものがあるとすれば、こういわれると嫌がられるらしい「ゆとり教育」にあるのではないか。それは下の世代がバカだということではない。むしろ、上の世代を愚かにしていく構造があったのではないかという疑いが私にはあるということだ。

何かを教育として強制していく。すると自然に「できない」という人が現れる。実は上部構造でもある種のできなさというのが常に存在するのだが、そういう「できない」人に対処することによって、逆に上部構造の「ゆるみ」にタガをはめていっていたのではないだろうか。
<

JRF 2011年10月26日

上の世代の「教育"をする"経験」が失われたことが、組織をいろいろなところで弱めているというのはあるのかもしれない。それが何者かの意図なのか、何がしかの抵抗の結果なのかはわからない。

JRF 2011年10月26日

それに対してどうするか?…といったところで、この先辿れそうな上限をみても、私が少子化にプライベートに抵抗することはありえない感じなので、私としては、もうしばらくは今までのようにネットに読まれない文を書き続けて、自分の「教えたさ」を排泄するぐらいか。引きこもりが変わることもなく、省エネ・知財重視の方向に行動をもって賛成できるといったところ。

JRF 2011年10月26日

[aboutme:126589]
>ボトムアップというなら、教育バウチャーとか子供手当のほうが筋がいいと素人目には思う。(…)子供手当をパチンコに使ったというのはケシカラン話かもしれないが、「ニート」が接触を望むことなく向こうにいるポンチ絵を使ったゲームで遊ばせるのは許してやってよ…ってことかな。<

JRF 2011年10月26日

2009年01月21日のひとこと。

>私が(…再び…)ネットに公けに書くようになるまで8年ほどかかった。まだまだ私ががんばらないと。<

98年から8年で2006年、今2011年で、ブログを書きはじめて 5年は経った。まだまだだが、8年 or 10年とすれば折り返しは過ぎた感じかな…。まぁ、その先、書き込みやコメント受け付けはしなくなっても、私が生きてる間はデータは見られるように維持するつもりだけど。

JRF 2011年10月26日

typo 「逮補」→「逮捕」。

JRF 2014年7月25日

Trackbacks:

《cocolog:71772540》 from JRF のひとこと
http://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2012/02/post-ea3e.html

また暴論で恐縮だが、「大学でこんな低レベルな授業が必要」という意味での学力低下は、AO(admission office)入試が原因でしょ?「裏口入学」に戻したほうがまだマシでは?「裏口」の後ろめたさから、他者に合わせるための自助努力をする…という必要を認めないからの授業でしょ?... 

受信: 2012-03-29 18:26:36 (JST)

《cocolog:73267390》 from JRF のひとこと
http://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2012/07/post-d66b.html

「哲学は神学の婢女[はしため]」なんて言葉を聞いたことがあるかもしれない。日本だと人を疑うことすら憚[はばか]られることがあり、まして神様を疑うなど…といった面もあるが、「欧米では」というかキリスト教神学は疑ってナンボなところがあって、知性・理性から神に近付く道が伝統的にある。... 

受信: 2013-06-30 06:58:03 (JST)

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