神が人をどう「裁く」か、がまずあって、ならば、神自身の正しさはどうなのかというあ…
神が人をどう「裁く」か、がまずあって、ならば、神自身の正しさはどうなのかというあたりが出てくるのはそのずっと後ということか。つまり、神義論といった時点で、神を人のところに下ろしてくる見方がビミョーにある、と。でも、「ホサナ、神はいと高くいまし」だ。 JRF 2008年8月31日
神が人をどう「裁く」か、がまずあって、ならば、神自身の正しさはどうなのかというあたりが出てくるのはそのずっと後ということか。つまり、神義論といった時点で、神を人のところに下ろしてくる見方がビミョーにある、と。でも、「ホサナ、神はいと高くいまし」だ。 JRF 2008年8月31日