そもそも「起信論」を読むのは「タメをつくりたい」ということだった。それはある種の…
そもそも「起信論」を読むのは「タメをつくりたい」ということだった。それはある種の執著をつくることだ。もちろん私は解脱した人間ではないので、執着がないわけはない。そこと関連付けて「信」を形成していくということか。 JRF 2007年12月10日
そもそも「起信論」を読むのは「タメをつくりたい」ということだった。それはある種の執著をつくることだ。もちろん私は解脱した人間ではないので、執着がないわけはない。そこと関連付けて「信」を形成していくということか。 JRF 2007年12月10日