真理の前には自由者も束縛される
N を自然数の集合とする。任意の x ∈ N について x < Y なる Y ∈ N、すなわち
Y ∈ N ∧ (∀x. x ∈ N → x < Y)
なる式を満たすように自由変数 Y に代入をすることはできない。Y ∈ N だけを満たすのは 1 でも 2 でも可能である。しかし、特定の n ∈ N が任意の x について x < n とすると n + 1 ∈ N についても n + 1 < n となり矛盾する。Y に代入できるような n は存在しない。上式を仮定すると矛盾が導けるということだ。すなわち、
¬(∃Y. Y ∈ N ∧(∀x. x ∈ N → x < Y))。
最初の式において x は Y を束縛しているわけではない。あえていえば、式が真でなければならないという条件が、Y を束縛するわけだ。
しかし、Y を少し変えた
Y ∈ N→N ∧ (∀x. x ∈ N → x < Y(x))
なる式を満たすような自由変数 Y (関数をとる変数)への代入は無数にあり、たとえば Y = (λz. z + 1) などにすれば良い。すなわち、
(∃Y. Y ∈ N→N ∧(∀x. x ∈ N → x < Y(x)))。
まとめよう。なんつーか。こういうまとめかたすると害悪のほうが大きいのだが、過去の私のように、数学(ラムダ計算)を学び一般に「自由」を「束縛がないこと」と捉えてしまっている者の更なる1ステップのために言ってしまおう。
<b>目に見える束縛(x)からの自由者(Y)であっても自由でないことは多い。だが希望を捨てるべきではない。目に見える束縛(x)を「読める」ような高階の自由者(Y(x))は真理という「束縛」にも、より自由となる</b>。
■参考
●あまり関係はないけど、この記事を書く発端となった記事:《novtan別館:自由。》。
●「自由」に関し、私の違った視点による記事:《JRFの私見:税・経済・法:「自由と平等」のレトリック》、《JRF の私見:宗教と動機付け:自由意思と神の恩寵》。
●この記事に興味のある方にオススメの私の記事:《JRF の私見:雑記:呪術的オブジェクト指向用語訳》。
更新:2007-09-24
初公開:2007年09月24日 18:20:32
最新版:2007年11月23日 15:49:18
Comments:
更新:オススメのリンクを足した。
投稿: JRF | 2007-11-23 15:50:19 (JST)
Links:
novtan別館:自由。: http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070909/p1 (hbm)
JRFの私見:税・経済・法:「自由と平等」のレトリック: http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/11/post.html
JRF の私見:宗教と動機付け:自由意思と神の恩寵: http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_2.html
JRF の私見:雑記:呪術的オブジェクト指向用語訳: http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/03/post_17.html