『新約聖書』ひろい読み --- 豚に真珠
マタイの 7 章 は、「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」ではじまる。その後に有名な格言がある。
07:06神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
マタイの中での関連章句は次の二つ。
13:45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
15:26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
これから考えて、豚は商人、小犬はヒモのように思える。
ただし、犬をエジプト神のアヌビス、豚を同じくセトと考えると、犬は異教の魔術師、豚はチンピラや異国の軍隊を指すのかもしれない。この解釈では、 07:06 は「異教を頼って人を呪ったり、賄賂で暴力を買って恨みを晴らしたりしてはならない」ということになろう。また、15:26 は単なるヒモではなく、異教の司祭への寄進を意味するのかもしれない。
真珠は娘を表すとすると、娘を商人に売り飛ばしたりしたはならないということになるが、この場合、「神聖なもの」が何かが問題となる。出エジプト 13:13 には長男の聖別が規定されている。「神聖なもの」は長男のことかもしれない。つまり、長男を異教の神に犠牲(モロク)として捧げてはならないということになる。
神殿男娼を犬、神殿娼婦を豚と称したそうである(『ナザレ派のイエス』 p.182)。この解釈では、「神殿男娼や神殿娼婦に捧げ物をしても無駄である」ということになる。しかし、そもそも神殿男娼は(異教の)司祭のことをユダヤ側から皮肉った言葉ではないのか?
これらは格言の元々の意味であろう。しかし、この部分は、自力救済をたしなめている部分なのだから、単に行為が無駄であることを述べようと格言を使っているとは思えない。
アヌビスは医学を司る神でもある。ひょっとすると、長子は医者にならなければならなかったのかもしれない。この時代には、異国から持ち込まれた伝染病も多く、医者は非常に危険視されていたのではないか。それでも医者にすることは、一見、自己犠牲的な立派な行為にみえて、伝染病を民族に持ちこむものでしかないと述べているのかもしれない。
マルコ 05:09 のレギオンも豚であるから、福音書の文脈では、豚はローマ軍の隠語かもしれない。つまり、ローマ軍に娘を与えて自らの権利を築こうとしても、彼らは娘の親族まで気にかけはしないと述べているのかもしれない。
なお、豚は多産の象徴である。『新約聖書略解』(p.209)によると、豚はヘレニズム文化においては、犠牲獣として捧げられることがあったらしい。(「豚」セトは彗星または、流星か?「豚」はセト(本来の動物は不明)というよりもタウレト(本来はカバ)なのだろうが、両者は、ともにマイナスのイメージがあるので、同じものになっていたのではないか?)
更新:01/07/19,01/07/21,01/08/15,06/01/29
初公開:2006年01月29日 01:23:51
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新約聖書略解: http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818403997 (hbm)